さて、今日は写真の話。
ニューヨーク在住時代の後半、2年間欠かさずに毎日続けた事がある。
クイーンズのアパートからマンハッタンの職場まで、地下鉄で往復2時間。
この時間をニューヨークタイムズ紙(NYタイムズ)を読むことに使った。
途中、クリスチャン・サイエンス・モニター紙を半年ほど購読したこともあったがさすがに両方買う金がなくて止めた。
独特な言い回しに文体、読みこなしが難しい新聞の一つだが、辞書を片手に読みまくった。
最初は半ページ読むのにも一時間以上かかった。
それでも、一年以上続けたある日、俗に言う大衆紙がすらすらと読めることに驚いた。
おかげで、いまだに発音と会話は超下手だが、英文を読むことだけは自信がある(笑)。
おっと、今日の話題はそんなことじゃない。
NYタイムズを読むうちに気づいたのが、ニュースや写真が持つストーリー性だ。
読者の想像・知的好奇心を掻き立てるような世界にのめりこんだ。
僕が、アメリカンスタイルのドキュメンタリー写真が好きなのは、この頃の影響が大きい。
(ま、好きだけど撮れないのは"腕ややる気がない"ということなので・苦笑)
話は変わって、
最近、ブラジル人フォトグラファーの写真をよく見るようになって大きなショックを受けている。
彼らが撮る写真はど下手か、天才のどちらかだ。
ど下手の写真などどうでもいいのだが、天才の撮る写真にはもうお手上げだ。
「これは、努力がどうのこうので追いつける世界じゃない」
しばらくの間、真剣に写真を止めようかと思ったほどだ(冗談)。
彼らが撮る写真は、ニュース、ウェディング、スポーツを問わず「アート」だ。
そして、美しいだけでなく、見るものの想像力を掻き立てるような世界観がある。
加えて、驚くのがそれらの写真が持つ「説得力」だ。
写真自体が持つ情報量は決して多くない。それなのに、見るものを納得させる「力」がある。
「写真」などという言葉に捉われているうちは絶対に撮れないと思うほどだ。
「こんな写真があったのか」
セバスチャン・サルガドはその最高峰の一つだろう。
観るものの想像力を掻き立てるような写真と文章。
僕が今後、挑戦しようと思っているものだ。
最近、いい写真撮ってないんだよね~(涙)。
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