カテゴリ:日系ブラジル移民( 6 )

第2回、沖縄県西原町出身者の集い(移民祭) Part2 本編

やっとのことで朝9時頃にタイラさんのシャカラに着く。
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僕が着いた時にはすでに実行委員の方々が準備を始めていた。
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真ん中に写っているのがタイラさん、この農場の持ち主だ。
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数百人規模の小さな移民祭だが、地元の企業や政治家が後援・協賛を行っている。
地元で一番大きなチェーン系スーパーの協賛を示すバナー。会場入り口にかける。
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何本もの釣り竿を用意している係りの方。何の準備かは、そのうち分かる。
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昼食のメインはシュラスコ、膨大な肉の量に見えるが、ちょっとしたパーティーだと普通の量だ。
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早速味見が始まる。僕もお相伴に預かることに・・・美味い!いい肉(ロース・フィレ)使ってる!!!!
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会場の入り口で来場者を待つタイラさん。
タイラさんは連邦大学(国立大学)に籍を置いていた元経済学者。6年前に仕事を引退してこの農場を買った。
購入時、土地は荒れ放題で建物さえなかった、自分の手で農地を切り開き、建材を運びこんで家を建てた。
土をいじることが大好きで、今の生活がとても楽しいと本当にうれしそうに語る。
週末は州都にある家で過ごし(日曜日は教会の礼拝がある)、平日を農場で過ごすそうだ。
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「(農場に咲く)花までもがこの日を祝ってくれているね」。タイラさんが僕に語りかける。
数十年の時を経て、地球の裏にある小さな街を同じ郷土としてゆかりある人達が集う。
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西原町ゆかりの人達が次々と到着しはじめる。
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沖縄太鼓、エイサーを披露する若者達も到着。
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農場内にいくつかある池ではすでに釣りが始まっていた。この後、子供達の釣り大会がある。
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僕がブラジルに惹かれた一番大きな理由が日系人をはじめとするブラジル人の笑顔だ。
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つづく
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by Pombo_Brasil | 2009-11-18 10:21 | 日系ブラジル移民

第2回、沖縄県西原町出身者の集い(移民祭) Part2

当日の朝、国道163号線沿いにある“タイラ”さんのシャカラ(小さな個人農場のこと)を目指してクルマを飛ばす。
タイラさんは実行委員の一人で、昨年から西原町の集いにご自分のシャカラを提供している方だ。
僕は、前日にいただいた地図を頼りに国道からはずれ、赤茶けた標識もなにもない道を進む。
「うーん、本当にこの道で大丈夫なんだろうか」「4駈だよな、普通こんな場所」。そう思っていると・・・・てな感じでPart2を続けるつもりでしたが。
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“ここから記事とは無関係です”
えーーーい!なんなんだこの暑さは!!この3日間ぐらいブラジルは灼熱地獄、もうたまらん!!
電気は落ちるし、リオのオリンピック本当に大丈夫なんか!?
水浴びして体を冷やしてもすぐに元に戻る。エアコン付けても大して変わらん。
ブログなんてちまちまやってられっか!ということで、Part2の更新は一旦止め!(爆)

応援エール・コメント等の励ましがあれば、更新ペースが早まる可能性はあります(笑)。
あー、熱い!
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by Pombo_Brasil | 2009-11-16 10:48 | 日系ブラジル移民

第2回、沖縄県西原町出身者の集い(移民祭) Part1

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ブラジルには1世から4世(5世)までを含めると100万人以上の日系ブラジル移民がいる(最初の移民は1908年)。
その中には昔の“琉球王国”、沖縄県からの移民も多い。
パラグアイやボリビアと国境を接するブラジル中西部(南米のちょうど真ん中に位置)のマットグロッソ・ドスル。
ここには、サンパウロやパラナ州についで多い、5万人とも言われる日系人コミュニティがある。
その多くが沖縄系の移民でもあり、中にはブラジルを横断する鉄道建設で汗を流した人たちもいる。

日系移民のたどってきた苦労に関しては昔の記事を参照してほしい。

その州都から数十キロ離れた農場で、先の日曜日に「第2回、沖縄県西原町出身者の集い」が催された。
ポルトガル語では、「Ⅱ encontro dos descendentes da cidade de Nishihara Okinawa」。
小さな移民記念祭のようなものだと思ってもらっていい。
僕は、実行委員の古波津さんから正式に依頼を受けて移民祭の記録を請け負うことになった。
古波津さん(女性)は昨年、日系移民に関する本などを出版した歯科医さんだ。
下の写真は、戦前戦後にブラジルへ渡ってきた沖縄県西原町出身の方々のもの。
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沖縄県西原町は、沖縄本島の中頭郡にある人口3万5千人の町。そこから多くの移民が戦前戦後にかけてブラジルへと渡ってきた。
地球の裏側に同じ西原町を郷土とする移民の方々が集う。その光景はとても言葉では言い表せない。
だからこその写真。

話はちょっと飛んで日系人の話。
日本ではブラジル人というと、出稼ぎやサッカー選手のイメージしかないかも知れないが、ブラジルでは日系人は社会的にとても地位が高い。
「約束を守る、誠実、働き者」。日系人を表現する言葉だ。
会計士や弁護士、医師をはじめとして、信頼を必要とされる仕事での評価は特に高い。
もちろん、農業での貢献も高い。ブラジルの野菜産業は一面、日系移民が興したようなものだ。

ブラジルはアメリカ(米国)にも劣らない多民族国家、欧州、インディオ、アフリカ、アジア、中東系、民族のるつぼだ。
日系人がその中で占める割合はほんの少し(ブラジルの総人口は1億9千万人)だが、存在感は際立っている。
現在のブラジル空軍の総司令官は日系人のサイトウ司令官、ブラジル最高学府のサンパウロ大学は日系人であふれている。
ブラジルにしばらく住めば、日本で描くブラジルと日系人のイメージの差に驚くかも知れない。
できるならば、いつの日か南米を訪れて日系コミュニティに接して欲しい。
自分という存在、世界の中での立ち位置、広大なブラジルの大地と自然、必ず得られるものがある。

日本の戦後と切り離されたブラジルには、忘れられようとしている“誇り”が生きている、これが僕の自説だ。
その誇りは与えられるものではなく、力一杯生きて勝ち取るものだ。底抜けに明るい笑顔と一緒に。

さて、これから数回にわたって「西原町移民の集い」の様子を紹介していこうと思う。
紹介できるのはほんの一部だが、了承してほしい。

今回、是非お勧めしたいのが写真を見ながら沖縄の歌を聞くことだ。
僕のお気に入りはBEGIN。僕の記事と写真が気に入ったらBEGINのCDを買ってくださいね。

PS:一枚目の写真は移民祭会場でのエイサーの披露。エイサーは若者に人気がある。
PPS:サルガドとサッカーブラジル代表の写真は一旦棚上げします。気が向いたら再開します。

ブラジル中西部に住む沖縄県西原町ゆかりの方々。
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by Pombo_Brasil | 2009-11-13 18:12 | 日系ブラジル移民

阿波踊り in Brasil

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日本は、夏祭りのシーズンも終わりですね。ブラジルはこれからやっと春です。
今日は、ボボ・ブラジル風の「阿波踊り」を。オーソドックスな写真です。
写真はすべてサンパウロのカーニバル会場でのもの。収容人数5万人という巨大な会場です。
日本人移民百年祭での催し物の1つです。カーニバル会場での阿波踊りは2度と撮れないかも。
日本人移民祭の写真は、これ以上は上げられませんのでご容赦ください。
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カーニバル会場の通路のど真ん中からシンメトリーに。
もちろん撮影許可証を取っていますが、基本的に通路内での撮影は不可です。
では、どうするか。
「コミュニケーション」です。
現場の人達(実行委員や保安係)と仲良くなること。あとは場の雰囲気を読む。
人と違う写真を撮るには、渡辺健や木村拓也に振り回されているようでは駄目です(笑)。
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最後の写真は、会場外でサンバを踊りだした踊り子さん達。ブラジルですね~。
ブラジルは、苦難・艱難の後ろで幸せの女神が笑って待っている、そんな土地です。
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さて、これらの写真はすべてクリップオンストロボを使っています(550EX)。
マニュアル露出、ISO800固定です。Jpegオンリー。
このような状況下では、ボディは迷うことなく1Dmark2を持ち出します。理由は露出メーター。
1D系は、ファインダー内の右側で上下三段の露出過不足が確認できるだけでなく、その右側にストロボ補正値が出てきます。
これが、実に重要。安心かつ"比較的"確実に撮影ができます。
被写体、背景などの露出、ヒストグラムを確認しながらストロボ補正値を変えます。
ストロボ補正値と被写体露出のバランスを「当てる」ようになるには何千枚と撮るしかありません。
それでも、欧米のドキュメンタリーを撮るカメラマンのストロボワークには"降参"ですけど(苦笑)。

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by Pombo_Brasil | 2008-08-28 23:04 | 日系ブラジル移民

ブラジル移民百周年おめでとうございます。

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最初の移民船「笠戸丸」に乗った日本人移民がブラジルのサントス港についたのが1908年6月18日。
先人の方々の慰霊にお祈り申し上げます。
私達家族が今日、このようにブラジルの地で比較的楽に生きて仕事ができるのも、先人の方々の礎あってこそ。
特に、開拓生活や農場労働、鉄道建設などでご苦労された方々は、着るもの食べるものもなく子供達には靴も買えなかったと思います。
知人の日系2世の方からは「子供達は、みんなはだしで学校へ行った」と先日伺いました。
両親、兄弟姉妹が力をあわせて末っ子を大学へ通わせた、そんな時代もありました。
「ブラジル人としての誇りと、ルーツとしての日本を大事にしたい」そんな若者達が育っています。

ジャングルの開拓で熱病などに倒れてなくなられても、お経を上げてもらうことすらかなわなかった先人の御霊。
どうぞ安らかに、そしてブラジルで生きる後世の私達をお守りください。

ブログをごらんの皆さん、今日だけはこんな記事も許してくださいね。

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by Pombo_Brasil | 2008-06-20 01:55 | 日系ブラジル移民

ありがとうの心

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写真は「ワイルドソウル」という小説の表紙。
「棄民政策」とまで呼ばれた、日系ブラジル移民の姿と外務省に対する復讐劇を描いている。
ワルテルパパこと馳星周さんの薦めで読んだ。
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日系移民が通過した苦労に関しては、日本でも様々な情報やドラマが流れていると思う。
それでも、できればこの小説に目を通してみて欲しい。
これが日系移民の全てではないが、ブラジルという風土、日系人が通過した世界の一部が分かる。
実際に、日系移民の一世として苦労してこられた方のお話を伺うと、それは壮絶な話が多い。
それでも、ブラジルという風土のせいなのだろうか、苦労話の背後に流れる涙の質が違う。

「時には絶望し、辛酸をなめながらも希望を見つめて生きてきた」

そんな例えはおかしいだろうか。
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日系人の先輩方は、ジャングルの開墾、線路工事、野菜作りなどの苦労を重ねながら日本という国の「心」を忘れなかった。
お金はなくとも子供へのしつけを行い、「お年寄りを大事にする心」「勤労」「実直、正直さ」を教えた。
着るもの、食べるものをぎりぎりまで切り詰め、子供の教育に投資した。
僕が住んでいる街の日系人学校(幼稚園・小学校・中学校)の歴史は80年以上にもなる。
日系移民の先輩方は、移民後、それほどの時間も置かずに学校を作った。

「自分を犠牲にして生きる」
そのことを高貴な喜びとして感じることができる心を失ってはいなかった。

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先日、日系社会の記念祭に参加した。
イベントの最後に、三世や四世の子供達が「文化の祭り」として日本の踊りや歌を披露した。
日系人のおじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん達が微笑みながら見つめる。

披露を終えた、10代後半の若者達が「気をつけ」の姿勢をとり、
「ありがとうございました」
と日系社会の先輩達に深々(ふかぶか)と頭を下げた。

たった一言の「ありがとう」の言葉、その言葉が心に響いた。
なんと真心と誠意のこもった言葉か・・・言葉の背後に日系人の歴史の重みがあった。
「善く生きる」
そんな、社会・共同体の姿を具現した、一言だった。
日系移民の先輩方が通過してきた歴史、凄絶な苦労、故郷への想い、希望、絶望。
あらゆる想いが「ありがとう」の一言と共に僕の心の中に流れ込んできた。

僕は、不覚にも写真を撮りながら、涙をこらえることができなかった。
これじゃ、マナブさんと一緒だ(笑)。

先輩方に遅れること、90年以上も経って僕はこの地へ足をおろした。
苦労はあれども、それは先輩方の踏みしめた道を歩くだけのことに過ぎない。
歴史が積もった「ありがとう」の一言を聞いて、僕は自分の子供達に伝える言葉をかみ締めていた。
「感謝」の言葉を忘れない、彼らがそんな人生を送ってくれればそれで満足だ。
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by Pombo_Brasil | 2008-06-09 06:56 | 日系ブラジル移民