昨日掲載した写真は、ふくろうを撮った最後の方のもの。。
最初に写した写真は、「とにかく撮らなければ」というのでふくろうが小さく写っているだけ。
典型的な日の丸・豆粒写真だ(笑。
僕は、絶好の被写体を見つけると、「なにはさておき、まずは撮る」タイプ。
まず、シャッターを切った上で、次に構図・露出・アプローチなどを煮詰める。
ほふく前進でそろそろと近づく。
ふくろうの背景と太陽の位置を考慮して、前に進みながら右や左へ位置を変える。
シャッターを切る時に、すでに全てのイメージが出来上がっているのが理想だ。
「たかが“ふくろう”、されど“ふくろう”」。
僕は今、何を撮ろうとしているのか、何を伝えたいのか。
単なる記録か、それともふくろうのいる風景を見た感動を伝えたいのか。
「僕は何を撮り、何を伝えようとしているのか」。
被写体への感動、愛、思い入れがあってこそ、“僕にとって”価値ある写真だ。
最大望遠で、ふくろうを切り取った後、ズームを引いた。
ふくろうのいる風景があまりに美しく僕の眼に映ったからだ。
人の写真を撮ることは素晴らしい。
しかし、自然の写真は純粋に美しい。
家に帰って、ふくろうの写真がモニターに出てきた時、心が洗われたのを感じた。
ふくろうの写真を見た次女から、光が差すような笑みがこぼれた。
人の写真を撮る以上、心の中で処理しきれなものも出てくる。
人を撮る写真家こそ、もっともっと自然を撮らないといけないのだろうか。
ふくろうに出会う前に空を見上げた。
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